【斎藤一人さん】すべての物には意思が宿っている

斎藤一人さん
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すべての物には意思が宿っている

この話が信じられる人って10人に1人いないんじゃないかと思ってるんだけど、全ての物には意志が宿ってるんです。

木とか鳥とかだったら、(意思が宿っているっていうのは)なんか分かるよね。ところが、電卓だろうが車だろうが意思が宿るんです。

例えば、カミソリの刃に対して「いつも切れてくれてありがたいな」って思うと、2、3日で切れなくなっちゃうはずのものが、5倍以上もつんです。現実にそうなんです。

私は、車を大切にしてるんだけど、この前もエンジンがかからなくて、それでもガチャガチャやってたらエンジンがかかってくれて、東京から福島の先の方まで運転して帰ってきても、問題なかったの。それで、次の日はちょっと乗りたくないなって気がして、修理屋に行ったら、バッテリーが落ちて止まっちゃったのね。それほど可愛がってる人には迷惑かけないものなの。

だから車検が無くなったりしたからって、自分の乗ってた車を山の中に捨てちゃったりする人がいるけど、物っていうのは全部魂が宿るんだっていうことを分かってほしいんだよね。

物を大切に扱うと微差がうまれる

例えば、昔の職人さんってトンカチでもなんでもすごく大切にしたんです。「跨いじゃいけないよ!」ってぐらいに大切にしたんですよ。トンカチにはトンカチの意思があるんです。

野球の選手でも気に入らないと叩きつけたりとかする人いるじゃない?そういう風に道具を粗末に扱う選手で一流になったやつはまずいない。

名刀か名刀じゃないかって微差なんですよ。大概職人が作ってるんだから同じくらいのものですよ。その微差っていうのは何ですかっていうと、「鉄」の名刀になろうという意思と名刀を作るんだっていう「かなづち」の意思があるんです。微差がそっから違うんですよ。

野球の球も、芯にあたるのと僅か何ミリずれるのでは、本当に微差なんですよ。道具を大切にしてる人は自然とその微差が決まるんです。

人間ていうのは自分だけで生きているんじゃないんだよ。物を大切にする人と大切にしない人って違うんです。だから自分のとこに来たら、その物を大切にしてあげてほしいんです。

もちろん、お金もそうなんだよ。だけど、お金だけの問題じゃないんだよって言ってるんです。

自分のとこにきた物を大切にしてあげると、その物が自分を守ってくれるの。本当にね、カミソリの刃だろうが車だろうが全然違っちゃうんですよ。

「俺は車で事故に遭ってしょうがねえんだ」っていうような人は、本当にね、車を愛していないんです。大切に扱ってないんです。意思があるんですね、これには。

魂が宿る物の順序

昔から言ってるんだけど、人間の魂って一番最初にどこにあるのかっていうと石とか鉱物に宿ったんです。

なぜかっていうと、人間の魂は不滅で永遠なんだよね。永遠ていうことは地球よりも古いんです。そうしたら一番最初に宿れるのは鉱物しかないんです。

鉱物の次は植物に宿るんです。それで植物に宿ったら、今度は動物に宿るんです。

動きなんです。

石は自分の力では動けないんです。それが植物は、種になったり多少は動けるんです。それで動物なると行動が随分できるんです。分かります?

それで動物から今度は雲に昇格する。

雲も魂で、人間も魂だから曇って消しちゃったりいろんなことができるんだけど、あまりやっちゃいけないよっていうのは魂だからなの。

雲を見てるとね、鳥の恰好してたり、羊の格好したり、色んな昔のものが残ってるんだよ。

あれは、昔の動物たちの波動なんだよ。そういう目で見ると愛おしいもんなんだ。

それで、やっと人間に昇格できる。

物の魂を全うさせてあげる

車ってなんですかっていうと鉱物なんだよ。鉱物で動けないんだけど、あの子たちは動けるんだよ。俺と一緒に旅したり話聞いたり、一生懸命やってるんだよ。だから、あの車には魂があるんだ。魂が一緒に話を聞き、一緒に修行しているんだよ。

今度、最後にもう1回だけあの車を連れて、どうしても俺は旅にいきたいの。それで、その車の魂がまた昇格するんだって。

物には皆、波動があるの。だから、木でも鳥でも人間でも、自分のそばに来たものって大切にしてあげるんだよ。

あのね、俺の車が壊れたとするじゃない。それはね、ずーっと俺のこと乗せてて病気になったのと同じなんだよ。

「チキショウ!」とか「頭にきた!」とか言ってる場合じゃないんだよ。本当にね、早く治してやんなきゃいけないんだよ、って。

俺の車はね、もう他の人にところに出すと廃車にされちゃうんだよね。でも俺のところにいて、俺がゆっくり走ればいいんだよね。

魂が次に何に生まれ変われるのかは分からないんだけど、できたら生まれ変われるように、全部、全うさせてあげたいの。

そうするとね、喜ぶの。今までは鉱物でね、あっちこっち動いたことなかったのがね、色んなとこ見れるの。で、一緒に話しを聞き、こちらの役に立ってくれるの。

すべての物にはオーラがあり、大切にすると光輝く

唯物論者の人ってのはそういうのを信じないんだけど、これは信じても信じなくてもいいの。俺の考えなの。誰かに信じてほしくて言ってるんじゃないのね。

でも、そう思うと、一つ一つがね皆大切なものに見えてくるの。そうすると人生ってね、輝き出してくるの。一つひとつを大切にしだすとね、みんな輝きだしてくるの。

みんなが冗談で俺の事をケチだって言ってるのか、分かんないんだけど、そうやって見ると、一つずつ「まだ使えるじゃないか」とか、「もったいないよ」とかね、「かわいそうだよ」とかさ、そういう気になっちゃうの。

あのね、俺の字がいくらか最近見れるようになってきたの。それは俺のおかげもあるけれど、このペンたちが俺の事何とかしてやろうってして、一生懸命頑張ってくれてるからなんだよね。だから変えたくないんだよね。

で、微差ってそんなもんなんだよ。

だから名人かそうじゃないかなんて微差の違いだよね。だから、安い筆でも愛情をかけている人には、きっと良い字が書けるんだよね。本当にそうだと思うよ。だって捨てられないもん。

なんかね、車が「もうそろそろいいよ」とか「まだ大丈夫だよ」とか話しをするの。「まだここにいたいんだよ」とか「もう十分だから次に生まれ変わりたいよ」っていうのが分かるんです。そうすると、それを聞いて、「じゃあ、そうしようね」っていうお話なんです。

だからね、魂がある以上、全部に交信ができるんだよね。すべてのものにはね、オーラがあるんだよ。大切だと思う人には光り輝いて見えるんだよ。

自分の役に立ってくれるものは値段に関わらず大切にする

よく画家で、絵が気に入らないからってキャンパスを切っちゃったりする人がいるけど、ああいうのってろくなもの出来ないんだよね。お前の腕が悪いんでね、キャンパスが悪いんじゃないんだぞと。本当にね、ありがとうねっていう気持ちがないとね。

紙は紙の命を持って生まれてきてるんだよね。だから使命ってね、全うさせてあげないとね。

紙には紙の意思があるんだよ。車には車の意志があるんだよね。筆には筆になったという、その意志があるんだよね。だから筆としての生命を全うさせてあげると凄くいいんだよね。

全ての中から、ペンになったりって大変なことなんだよね。だからそのペンになったことを全うさせてあげる。そんなことを考えてくるとね、物って愛おしくなって大切になっちゃうんだよね。

例えば、シャネルのバッグを大切にする気持ちは、もちろん嬉しいんだよ。大切にしてあげてほしいの。だけど、これは5000円だからとかコピーだからとかって、粗末にする人がいるとね、なんでそういうことするんだろって思うんだよね。そういう人間ってきっと、会社の上層部の人は大事にするけど、パートの人とかは大事にしないんじゃないかって。荷造りの人は大事にしないんじゃないかって。

自分の役に立っているものはシャネルだろうがビニールのバッグだろうが同じなんだよ。
だから俺が時々高いものもらっても、「高くなくていいよ」って言うのは、高いのでも安いのでも同じなの俺には。同じくらい役に立つから、同じくらい大切にするの。自分に役に立ってくれてるものってね、すごいありがたいんだよね。その役に立ってる頻度に応じて大切にしなくちゃいけないんだよね。

木と鳥は魂を成長しあう友達

すべてのものには意思があり、意識もある。原子の中に記憶されるの。この石に腰かけたり、しょんべんひっかけたり、蹴っ飛ばしたりすると全部記憶に残っている。石の中の記憶にね。

例えば、木と鳥の話なんだけど、木は動けないから仲間の木がどこかに連れていかれても、その友達に会いたくなると必ず鳥に話をするんだよね。

すると鳥は仲間の木のところに飛んでいって「お前元気にしてるか」とかプチャクチャ伝達してくれるの。だから鳥と木はお友達で助け合ってるんだよね。鳥に対しては餌を与え、実をならしたりするの。

木と木は友達なんだよ。自分の声が届かない時は鳥さんがこっちいったりがあっちいったり、プチャクチャプチャクチャやっているの。そんな感じで、魂って成長しながら、上へ上へって、上がっていくの。

食べ物への接し方

肉食は、良いのか、ダメなのかって議論に対して、ワープするって話があってね。例えば、小松菜を食べるとするじゃない。この小松菜の細胞が、食べちゃうと人間の細胞になっちゃうの。分かります?

ということは進化の過程をワープしてるんです。だから感謝して食べる。そうするとワープして細胞になっちゃうんです。そこで俺たち人間としての修行ができるんです。

だから、豚肉を食べようが、牛肉を食べようが、命いただいているんだから食べちゃいけないっていうことはないんです。食べてもいいんです。

豚食べちゃいけない、牛食べっちゃいけない、いろんなことを言うけど、何食べてもいいんだよ。何食べたって病気しないよ。そのことさえ分かってればいいんだよ。

だから、やたら残すなよ。そうすると捨てるために獲られて、犬死になっちゃうの。だから無理して食べることはないけど、手を付けないほど獲っちゃダメだよ。

ゴミ箱に捨てられたら、かわいそうなんだよ。何のために殺されたんだか、わかんなくなっちゃうんだよ。だから、ものはちゃんと食べなきゃダメだよ。そうすると何食べても美味しいんだよ。

何食べようが、「美味しいね、美味しいね」って、こう食べるんだよ。俺くらい物を美味しく食べる人って見たことないって言われるんだけど、美味しい、美味しいって食べてあげると、細胞になるんだよ。

そうすると魂のワープができる。だから何食べても平気だよ。感謝して食べな。

で、もし残っちゃった時は、「ごめんなさいね、残しちゃって。これをワークできなかった。だから、かわいそうだな。」っていう気持ちなの。

食べ物って、そうやって接するといいの。

魂には値段がない

すべてのものには魂が宿ってるんだよ。大切にするの。そうすると微差がでてくるの。それを道具に懲りだして、高いものばっかり大事にしてるやつは、魂に値段がないことがわからないんだよね。

「このお茶碗は名人が作ったから300万です」って、それは作った人の値段ですよね。ここに入ってる魂には値段がないんだよ。

値段が付けられないぐらいのものが、入っているんだよ。これはお茶碗として役に立とうとしてるんだよ。「いいね、いいね」って言ってると形までよくなってくる。いい波動になってくるの。

300円のものでも何でも、大切に使ってる物っていうのは大切な輝きが出てくるの。

だから良いものしか心が行かない人は唯物論者なの。中に入ってる魂が見えない。器のこれしかみえない。値段しか見えない。

でも魂を見てる人は値段だけじゃないの。「これいいよなぁこれいいなぁ」って可愛がってあげると、言っているうちに良くなってくるの。

以上、終わり!

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