【斎藤一人さん】愛から出る波動とその強さ

斎藤一人さん
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愛から出る波動の強さが良い結果を生みだす

今日はね、愛の話なんです。愛の話って、なんですかっていったときに、愛から出る波動と、この強さです。ライバル意識がある、破壊する、喧嘩する、恨み妬みいろんな事がその人を動かしている、励みになる。そのなかで、一番強いのは愛の力です。

たとえば、うちの商品で豪傑丸というのがあるとします。この豪傑丸がいかにいいか、一生懸命、前の人に話す。これは愛の行為なんです。ところがうまく行く人と行かない人がいるんです。なぜうまく行かないかというと、買ってくれるんだろうか、と結果ばかり気にする人がいるんです。

例えば、私と次郎くんがテニスをする。私は球をみているんですよ。ところが次郎くんは結果が気になってしょうがないから、結果表ばっかり見ています。そうすると誰が勝つかというと、球をみている私が勝つ。たった、これだけなんです。

本当にこの人に良さを伝えたい。この人が買うか買わないかはいいんです。5年後に買うかもしれないです。結果は神様が出すんです。結果ばかり気にして商品を売っていると相手の心に伝わらない。

試合の最中はたま見るんです。相手の動きを見てたま見るの。今日の最後に結果を見れば良いんですよ。それを常に結果ばかり気にして商売しているから、テクニックで売ることばっかり考える。そのテクニックも自分の為にやっているテクニックなの。売上ばっかり考えてる自分のためのテクニックなの。(相手は)それを見抜くの。

学校の先生が怒ります。その時に生徒の為を思って「こういう風にしようよ」とか言ってくれる良い先生なんです。それを「お前がここにいると授業のじゃまなんだ」とか思っている先生だと、同じ注意をされても分かる。いくら優しい顔したって、犬殺しがくると犬は逃げるんですよ。エサ出したって逃げる。俺たちは、犬以上なんですよ。相手は見抜けるんです。

それを、見抜けないで、名演技で名テクニックで騙したとしたら、バチあたるぞ、って。そんなもんで儲けた金で、幸せになれるかと思ったら大間違い。テクニックじゃないんです。一所懸命話せばいいんです。それが結果を生むんです。そのことだけ分ってくれれば良いんです。その結果は必ずあとから出るんです。

相手の心に幸せな種を蒔くことの大切さ

心の中に幸せの波動。世間に幸せな波動をまいて。たんぽぽの種蒔いてね、さやえんどうなんかなる訳ないんだよ。心の中に何の種を蒔くかなんだよ。「ついてる」っていう種を蒔くからついてる実がなるんだよ。ついてる花が咲くの。

つかねぇつかねぇって、種蒔いたら、つかねぇ花が咲いて実がなる、結果がでてくるの。蒔いた種のときは、ちっちゃいんだよ。育つんだよ。育つの。すべて心に入れたものは育つんです。だからお客さんが来た時、本当に良いのだと思い、そのこと一生懸命伝えるの。コミュニケーションの場なの。

小売業って言うのは、お客さんとのコミュニケーションの場なの。コミュニケーションしないで帰しちゃいけないの。お客さんが来てるのに、従業員同士で私語してたら絶対いけないの。だけど、お客さんと私語しないで、帰しちゃいけないんだよ。コミュニケーションの場なの。

商品渡してお金だけもらう、「毎度ありがとうございます」。自動販売機なんだよ、それじゃあ。人間ていうのは、人間にしか出来ないことをするんだよ。暑かったですねとか、ずいぶんお綺麗になりましたね、とか。これもらったお菓子なんだけど、食べてってください。椅子は、座りやすい椅子。コミュニケーションしやすくなきゃいけないんだよ。コミュニケーションていうのは、仕事なんですよ。

観音参りとは、神様の役に立つために呼ばれて行くもの

で、今から話すはなし、ちょっと難しくて使えないかわかんない。使えないけど、俺は勢いで今日はしゃべっちゃうよ?あたしは観音参りに行く。観音参りには呼ばれた人が行くんだよ。で、これは何ですか?観音さまってのがいるんだよ。観音さまってのは、草でも木でも皆救うんだよ。

救うってのは、誰が救うんですか。人がいないと神様は表現が出来ない。観音参りしてる人、その中で、すがってく人間と呼ばれてく人間がいるんだよだから、うちは呼ばれないやつはいけないよ、俺たちの仲間は呼ばれないやつは、行けないんだ。で、呼ばれて行くってどういうことですか?呼ばれて行くってのは、神様の役に立つんだよ。普通の人間は厄を落としに行くんだよ。俺たちは役に立ちにいくんだよ。

役立つ人間って何ですかと言うと、世間に戻ってきてもニコニコしているんだよ。ブスっとして「ついてないんですよ」って言っている人がいたら「そんなことないよ、ついているじゃないか」って教えてあげるのが天命なんだよ。観音様の役に立つ。役に立つ為に呼ばれて行く。役に立つぐらいだから、こっちが言った事ぐらいすぐに叶えてくれる。

だから、すがって行っていいんじゃないんだ。この前もある人が両目が悪くなったから観音参りに行ったけど、俺たちは元気なうちから行ってんだよ。幸せなうちから行ってるんだよ。

観音参りってなんですか?って、すがりに行く所だなんて一回も言った事がないの。観音参りは元気じゃないと行けない。お金がなきゃ行けない。暇もあって、お金もあって、体も健康、家も空けられなきゃ行けないんだよ。全部が揃った人だけが行けるんだよ。それだけで幸せなの。で、その幸せをお役に立つためにいるんだよ。

通りかかった人が「大丈夫ですか?」って助けてくれた。あの人こそ観音様の化身だ。化身が出たわけでなく、そういう心優しい人がいたんだよ。観音様のお役に立つ人がいたの。観音様の話をしているけど、キリストでもマホメッドでもどこの誰でも同じなんですよ。呼ばれてってお役に立った人がいるんです。

そのお役に立つ。だから俺たち、呼ばれないといけないよ。すがる気になりゃ行ける、厄よけなら誰でも行けるんだよ。俺たちは、厄除けにいってんじゃないの。少しでもお役にたつことありませんか?といって出かけてるんです。結果は神様が出してくれると信じている。ただ天と約束して出てきた事はそういうことなんです。

だから、天のお役に立ちますよって出てきたのに、ずーっと立たないから、厄年てのがあってひどい目にあうんだよ。ちゃんと、お役に立っているやつは厄年になると、急に跳ねて仕事でもなんでも伸びちゃうの。厄年ってのは、お役に立ってるか立っていないのかが分かる年なの。

成功として天に持って帰れるもの

俺たちは、仕事が成功した、なにが成功したって天に帰るわけに行かないの。天に帰る時ってのは、今までブスってしてたけど少しはニコッと笑えるようになりました。困っている人がいると、元気出せよとか、言えるような人間になりました。少しは愛情を与えられるようになって、帰ってきました。成功とは、そんなもの。

土地を何千坪持ちましたとか、そんなものは向こうじゃ通らないんだ、って。それよりも、年寄りに「おばあちゃん元気だね」って。前世では、情けないけど、年とってもあんな働かなきゃなんない、身分が違うんだとかそんな傲慢な人間だった自分が、「おばあちゃん元気で働いてるね」とか、優しい事が言えるようになりました。これが、成功者っていうの。

今、一生懸命やっているけど、自分の仕事の成功で成功者って思ってないの。完璧にできないから、やり直しで来てるんです。ただ、一生懸命やろうとしてるの。人に対して、少しでも笑顔を見せて、愛のある言葉をしゃべる。一年前に比べたら少しは出来てる。

10年前とか5年前とか、穴があったら入りたいぐらい恥ずかしい。でも今は5年前よりはいくらかマシになってるんです。だから後何年か生きて、もう少しマシになって故郷へ帰るんです。これが私の夢です。どうも、ありがとう。

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