自分の生きて来た過程に悟りがある
ひとりさんの独り言です。
『悟りは常に脚下にあり』
足の下にあるという話ですね。
悟りは常に足の下にあるんだよと。
足の下というのは何ですか?って言ったとき、自分が歩いて来た道のり、子供の時からの人生、そこに常に悟りっていうのがある。
たとえば、自分が失敗した事、思わず人に意地悪言っちゃった事、それから人を騙すような奴が出てきた、それから自分の親だとか兄弟だとか、自分の生きて来た過程を振り返ってみたら反省点がいっぱいあったりとか、そういうものが全部あるはずなの。
自分が経験してるんだから、すごくよく分かるの。
その事を忘れちゃって、インドの方まで修行行ってる奴がいるけど、自分のやってきたことを忘れて、悟りというものを「貰えるかなんかだ」と思ってることがおかしいんだよ。
悟りっていうのは、自分が歩いて来て、その時出会った人の事なんかを見たら、分かるようになってるの。
それを飛び越えて、ヒマラヤ行きましただとか、チベット行きましたとか言ってるけど、それはチベットのやつがそこで悟りを開くんだよ。日本に生まれた人間が、日本で悟り開かないでどうすんだって。そのことをしっかり覚えなきゃいけないの。
不思議な運命に操られて、(中村)天風さんみたいな人もいるんだよ?だけど、普通の人はそうじゃないの。
自分の歩いてきた足取りの中に、必ず悟りがあるの。仕事だってそうなの。自分のしてきた仕事をしっかり研究してみれば、仕事の悟りは開けるの。
インドやチベットに行っても悟れるわけがない
それを、遥か遠くに悟りというものがあると思ってるの。そういう人間は、悟った気になってるの。
インドに行くことが悟りだとか、あたかも、「自分はインドまで行ってるからあんたらとは違うのよ?」という。昔、絵描きがね、パリかなんか行って「あんたらとは違うのよ」って、そういうことで差をつけようということ自体が、悟りから遠いんだよ。考え方が悟りから遠いんだよ。
だから、そんな人がインド行こうがチベット行こうが、悟れるわけがないんだよ。それより、自分のやって来た事反省しろ、って。そこにしか悟りの道なんかないの。いつも足元を見てりゃいいの。周り見てもダメなんだよ。
で、人の経験いくら聞いたって、あなた悟れないよ。あなたが経験したことの中からしか悟れないんです。
だって、人のやったこと幾ら聞いてたって分らないもん。カツ丼食って、自分が食ったカツ丼の中から味でもなんでも研究するんだよ。
旨いものの話山ほど聞いたって食ったことのないものは、分らないんだよ。だから、「常に悟りは常に脚下にあり」なの。その事を忘れて、インド行ってますとかアフリカ行ってます、そんなのに関心しちゃダメ。空の下なんかないの。山の上にもないの。
あなたが過ごしてきた人生の中に…失敗した事、出会ったこと、嫌なやつに会ったこと。そして嫌な奴に会ったなら、嫌なことはしない。意地悪に会ったやつは意地悪しない。優しい人見たら、素晴らしいなと思ったら、そういうの真似する。
詐欺師に会ったら、「こういう奴は詐欺師なんだ」と思い、いじめる奴見たら、「こういうのがいじめる奴だ」と思い、悟ってくんだよ。
常に自分の足跡を振り返って見なって。そこに反省点が、全部神様がくれるの。その事を忘れちゃってるような奴ってのは、平気で訳のわかんないこと言ってるの。あんなもんが悟りだなんて口にすること自体が、呪わしいっていうの、俺に言わせると。
そういう奴って、大概訳の分からない、人に迷惑かけてる。汚いの。ホントだよ。不潔ったらしくってさ、汚くてね、訳分かんない能書きばっかり言ってて、二言目にはインドまで行って修行してるとか、インド行く前に、風呂行け!って(笑)
人は一番悟りやすい場所に生まれてくる
あのね、神様がそこに生まれてそこに居なさいっていうことは、そこが一番悟りやすい。
で、そこで悟れないような奴は、どこ行っても悟れない。一番悟りやすい場所があるの。そこに産んでくれてる。
だから、日本に生まれた人は、日本が一番悟りやすいの。インドに生まれた人はインドが一番悟りやすいの。チベットに生まれた人はチベットが一番悟りやすいんです。
だから、そのこと忘れてうろうろしてる人間も悟りに近づいてるんじゃないの。悟りから逃げてんの。ということですよ。
第三の目が開いても優しいことが言えないと意味がない
インドで悟ろうがどこで悟ろうがいいんだけど、悟った後どうするかっていったら、とどのつまりは、「生きてきて幸せだね」、「命って大切だね」、「周りの人に優しいことを言おうよ」っていう極限的にはそれしかないの。
だから、いろんなとこ行ったとき、修行したら第三の目が開いた。第三の目が開いたって、じゃあ、どうするの?って言ったら、周りの人に優しくするか、幸せだねっ、ていう生きてて幸せだ、しかないんだよ。
それを、第三の目が開いてるのに、人に対して意地悪したり、つっけんどんなこと言ってんだったら、開かないで優しいこと言ってるほうがよっぽどいいんだよ。
修行して、空飛ぼうが、ケツが30センチ浮こうが、そんなもんどうでもいいんだよ(笑)ケツを浮かしながらイヤミ言ってるんだったら、ケツくっついてていいから、優しいこと言ったほうがいいんだよ。それが大切なんだよ。曲芸師じゃないんだから。ね?手品師でも曲芸師でもないの。
人をびっくりさせるようなこと言うより、優しいこと言って、その方がマシなんだよ。それが精神論なんだよ。悟るっていうことは、命大切で、自然大切で、周りにいる人が大切って、それが悟りなの。
インドまでいかないとそんなこと出来ないの?って。周りに人に優しく出来ないんですか?って。
極限的に、最後にはそれしかないの。生きてて幸せ、俺の命も大切、あなたも大切、みんなで明るい笑顔の話しようよ。怒った顔してて悟りなんてとんでもないよ。と、いうことですよ。
お金をとる「悟り」に騙されないこと
恵美子さんの本読んだり、それから悟りの本とか、今観音様の話ね、奇跡的にそういうのが出来たよとかっていうと、急にそういうのに目覚めちゃうんですよ。
そうすると必ず、同じようなことを言ってる人がいるとか、こういう人がいるとかっていうと、コロっと騙されて、一人さんと同じようなことを言ったら、じゃあ、一人さんと同じなんだ、って。
言ってることは同じかも分らないけど、必ずそういうやつは最終的には、いろんなこと言って、脅かされた話されたり、暗い話されて、金必ず取られちゃうんだよ。
で、一人さんなんか、絶対お金取る気ないから。会いたくないんだよ、そんな悩んでるような奴に。当たり前なんだよ。
それを、金取る奴はやたら会いたがるんだよ。で、連れてらっしゃいっていうだよ。
俺なんか、「連れてくんな連れてくんな」っていつも言うんだよ。だって、本読もうがなにしようが同じなんだもん。それ、やたら連れて来たがる、やたら会いたがる、小冊子配ったりいろいろやってる。怪しいんだよ、俺に言わせると。
それから、凄い寺院があって、凄い寺院ってお前が金出したんじゃないんだ、信者が金出したんだろ。おかしいんだよ、絶対に。もと、金ないんだもん。
で、神様がついてるって、神様が金くれたって一回もないの。神様に金出した奴はいても、神様から貰った奴は有史以来一人もいないんだよ(笑)てことは、みんなが出してんだよ。
だから、出してもいいんだっていうんだったらいいんだよ?あなたの金だから絶対かまわないよ。だけど、明らかに違うものは、違うんだよ。
だけど、入り口から、怪しいことは言わないんだよ。最初っから怪しかったら、怪しいから誰も行かないんだから(笑)入り口は似たようなことをちゃんと言うんだよ、じゃなかったら一人も来ないんだから。だから、よーく、よーく先を考えなよ?
やたら会いたがるとかっていうのは、本当にあなたに必要なら、あんたが努力して会いたいとかなんとかするのが当たり前なんだよ。あなたの都合のいい人を、向こうが求めたり探すわけないんだよ。向こうが探してるってのは、必ずあなたを食い物にしようとしてるしかないんだよ?
ね?
よーく考えて行動しないと、必ずぐらい出てくるの。その時に、一人さんと一緒だっていって向こう行っちゃう。一人さんと同じだと思ったら俺の話だけ聴いてな?何も一人さんの一緒のとこ行って金盗られることないんだから。それだったら、一人さんの本をゆっくり読んでればいいの。
で、人に言われたら、けなしちゃダメだよ?
「ああ、素晴らしいですね。でも私はひとりさんを信じてるから」と。そうやって言えばいいの。
で、「あなたはそっち信じてるんでしょ?私はこれ信じてるんですよ。ハッピーですよ。」って言えばそれでいいの。
それを、いちいち喧嘩なんかすることないんだよ。だけど、ハッキリ「私は一人さん信じてるんですよ、ハッピーですからね。」って。で、この事をちゃんと言えないとダメだよ。っていう事だよ、わかったね?
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