【斎藤一人さん】魂力の高い人が魅力的なオーラを放つ

斎藤一人さん
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自分の機嫌を自分で取れる人は魂力が高くなる

はい。おはようございます。100回聞いてくださいの話です。この話も100回聞くと分かります。ホントに簡単な話ですから、是非100回聞いてみてください。

ここのところ100回シリーズの話をしているんですが、これも4作目くらいになると思います。『笑顔でいるんだよ、自分の機嫌は自分でとるんだよ』って話。それから、『仕事のことでも自分の能力でも一所懸命出し切るんだよ』っていう話。それから『徳を一所懸命出すと幸せになるよ』っていう話をしてるんです。

これ(今回)が『魂力』(たましいりょく)っていう話なんですけど、自分の機嫌を人に取ってもらおうとしてる人と、自分の機嫌を自分で取れる人っていうのは、もう魂の力が全然違うんです。そういう人っていうのは魂力っていうのが全然違います。

同じレベルの人がいますよね、同じレベルの人がいると、いい学校を出ているとか、ブランドものを持っているとか、いい車をもっているとかで差をつけることが出来るんです。ところが、どんなに頑張ってみても、魂力、魂のステージが上に上がっちゃった人には絶対勝てないんです。

肩書きや持ち物が上でも、魂力が高い人には勝てない

不思議なものなんだけど、魂力のある人、例えば、郵便局で働いている。郵便局で働いて、ものすごく一所懸命働く人がいるんです。それから同僚の手伝いしてあげる人もいるんです。そういう風に徳を一杯積んでる人っていうのは、郵政大臣より幸せな郵便配達の人っているんです。そういう人に会ったときに魂のレベルが上だと、肩書きが上だろうが、持ち物が上だろうが、その人に会うと勝てないんです。

校長先生より立派な考え方の用務員がいたら困るということではないんです。自分が総理大臣なったとき、あの人にお礼を言いたいっていう人が、用務員のおじさんだったって全然構わないんです。だから、そういう風に、自分の持てる力を一所懸命出して、自分の機嫌を取れた人は、普通の人ともう魂のステージが違うんです。

世間でそういう人の悪口を言いふらす人もいます。でも、魂の次元が違っちゃた人の悪口言ってると、天に唾すると全部自分の顔にかかるんです。唾吐いた人の顔にかかってきます。で、上には届かないんです。

「あの人ね、方っぽの人はいつもニコニコしてて、自分の機嫌も人に取らせないで(自分で自分の機嫌をとっていて)、あなたの悪口を一回も言ったことないのに、向こうは言ってる。」って。そうすると、世間はずっと見てて、「この人怪しいとか、この人変だ」とか、自分で自分のかけた唾がかかるんです。

だから何言いたいんですかっていうと、前の3つのテープを何回も何回も何回も聞くことによって、自分の魂力が上がり、魂のステージが上がった時、すべてが逆転しちゃうんです。学歴も関係ない、持ってるカバンも関係ない、乗ってる車も関係ない、社会的地位も関係ない、その人に会った時、全然違うんです。

徳を出さずに溜めこんでいくと毒に変わる

それで、徳というものを外へ出さなきゃいけないんです。徳って何ですかっていうと、自分が一所懸命年賀はがき書きます、自分がいいこと一所懸命してて、相手が年賀ハガキ返ってこないと、「あの人は年賀ハガキも書かないのよ」って言ったときにもう徳じゃないんです。徳っていうのは、「年賀ハガキ書くの私の楽しみなのよ。返事とかいらないんだ、自分の楽しみでやってんだよ。」って、正しい事を楽しみにやるようになれば、徳なんです。

それを人にまで、「あの人はやんない」って言い出したとき、それはもう徳じゃないんです。人に、徳を蒔けばいいだけど、徳じゃないものを、要するに親切にできるのにしないとどうなるかっていうと、徳を外に出さずに身体に溜めとくと、古くなって毒に変わるんです。その毒がからだのあっちこっち吹きだすし、溜まった所が悪くなるんです。

だから、自分の徳をだせば出すほど魂のステージがあがっていくんです。それで、人間社会のくだらない競争とかっていうのを、あまりしない方がいいです。それより、徳を上げる競争をしてけば、人間社会の中の決め事なんか絶対勝てないんです。で、この人には勝てないって分かります。

魂力が高いと周りから見ても風格が違う

50万のブランドバッグ持ってるよりも、その辺で買ってきた無名のバッグこうやって持ってても、人間力、魂力の違う人間に会った時は、勝てないんです。ホントにそうなんですよ。上から下までブランド物にしてる人が、白衣姿で出てきたマザーテレサに勝てますか?って言ったとき、もうそれは勝てないんです。魂力が違うんです。だから魂力を磨くこと。

だから、どんなにご馳走で「僕はグルメでここでなきゃ嫌だ」、「あそこでなきゃ嫌だ」とか、すごいグルメの話ししてるよりも、アジの開きでもね、獲った漁師さんに感謝し、お米でも作ってくれた人に感謝し、そのお米も、「そのブランドじゃなきゃ嫌だ」「あのブランドじゃなきゃ嫌だ」って言っている人間よりも、出てきたものホントに感謝して、美味しく食べ、「ホントこのお米作るのに、どれぐらい苦労したんだろう」「この魚獲るのに、どれぐらい苦労したんだろう」って。

魚も命なの。その命を奪っといて、「うめぇ」とか「マズい」とかっていう魂の人と、感謝を持って食べてる人では、会った時、「僕は世界中のグルメを食べました」とかって言ってる人と、「あたしは感謝して、このご飯とかアジの開きとか、このメザシ食べてるんですよ」って言った人と会ったとき、人間的重みが全然違うんです。で、この人には勝てないって、相手が分かります。周りから見てても風格が違うんです。人間的な風格とか重みが違うんです。

魂力を上げれば、どこの誰でも幸せになれる

そういう事がすごく大切だから、よく言うんだけど、最下位級の一番下で働いている人で、社長より幸せな人がいるんです。「社長になれなきゃ幸せなれない」「部長になれなきゃ幸せなれない」っていうのは絶対に違います。もちろん、社長でも幸せな人はいるんだよ。だけど、社長になれなくても社長より幸せな人が一杯いるんです。

で、「そういう人はなんですか」っていうと、徳を積んで人間力を磨いた人なんです。人間力、人間の値打ちが違っちゃったら、どんなにデコレーションをしても、駄目なんです。

この話、前の3つの話を聞いた後に100回聞いてくれれば分かります。で、100回聞くと、「ああそうか」って。「一人さん、なに一所懸命しゃべりたかったのか。出世する方法とか、そんなんじゃないんだ。人間力をつければ、どこの誰でも幸せになって、どの誰にもこの人には比べ物にならない、魂の次元が上がってっちゃうんだ」って。「出世しなきゃ幸せになれない、お金持たなきゃ幸せにならない、ブランドもの持たなきゃ幸せにならない」とかって話をしてるんじゃないんです。

人に喜ばれ、自分で自分の機嫌を取って、自分の出来る仕事一所懸命全力あげてやって、うちの仕事だったら人助けして、身体を軽くしたり、心を軽くしてあげることに一所懸命一所懸命生きてる人と、ね、その辺からブランド物だとか車買ってきて、「さあ、どうだ」とか言ってる奴とは、人間力が違うんだよ。会った時の、ハッキリいって凄みが違うんです。魂から湧き出る力が違うんだよって。そのことを言いたいんです。

で、そのことを又知ることが、前の勉強をするのも楽しくなってきて、徳を積む事もさらに楽しくなるよっていうことです。じゃ、以上です。ありがとうございます。


「「魂力」には「魅力」や「人間力」などとの違いはあるのでしょうか?」という質問にお答えしている一人さんのゆほびかの記事もあわせてどうぞ。

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